28 9 月 2008

Re: いい会社をつくりましょう

投稿者 米田 宗義 カテゴリー: いい会社; 人材; 企業の社会的責任(CSR) .

8月20日の投稿「いい会社を作りましょう」へのコメントをたくさんいただきました。内輪のやりとりもありましたが、このブログで発信していきたい内容が、本質論を含めていきなり出たと思います。

横屋さんの2つの問いかけに対して、川端先生 (このブログを読んでくださる関係者以外の皆様>>川端とはITコーディネータのプロ集団である有限責任事業組合ITC-Labo.の理事長です) のように深く掘り下げた答えを私は用意できませんが、私なりに答えると、こんな感じでしょうか。

良い会社といい会社は違うようで・・・

これについては、川端先生の答えと重なるようですが、「良い会社」というと、売上とか利益とか数字で判断する、あるいは経営品質賞のような一般化した評価尺度で高いポイントを獲得している会社のイメージがあります。

そして、いい会社とは、

自社の発展(CSR的に言えば持続可能な発展)のために、

様々な人を幸せにできる製品やサービスを提供できるか、

ということを経営者が常に考え、そのための仕組みを従業員といっしょになってつくっている、

そんな会社だと考えています。

もっとわかりやすく言えば、『お客様に喜んでいただき、納税者として事業者として社会に役立ち、従業員が元気はつらつと働く。そして小さくても輝いている』、そんな会社がいい会社だと思います。

いい会社は誰のためにある・・・
いい会社の中心は従業員と思いたいですね。そして本業を通して貢献する相手として、いの一番はやはり社会や環境でしょう。

2 コメント があります

秋本 純二 さんのコメント:

2008年 9 月 29日@6:29 PM.

8月20日付の川端先生のコメントの最後で、J.Aさん、どう?とコメントを促されながら、
なかなか言葉が生まれて来ないまま、時間ばかりが過ぎ去っていき、ずっと気になっていました。

「いい会社」と「良い会社」の定義については、米田さんのご意見の方向を支持します。内容は
今後もいろいろな角度から補足をしていけると思います。

ここでは、コーディネータとして必要なのは、流行の理論ではなく、1000年単位の哲学である、
という川端先生が提出された話題に触れてみたいと思います。

大事なのは、コーディネータが備えるべき属性ではなく、どのような仕事に従事していようと、
人が人として生きている、その根本の動機や想いではないでしょうか。

人間とは何であるか、については古来様々な言われ方がしてきました。曰く「社会的存在」、
「道具を使う動物」(これは事実により誤りであることが判明しました)。ここでは難しい定義を
するつもりはありません。ただはっきりしているのは、人とは、人とかかわることよってしか
人と呼べる存在になりえないもの、ということです。

人は人とかかわることによってしか人になり得ないのですが、人とかかわることによって、
まったき自由を制限されているような思いを感じてしまう、という矛盾した存在でもあります。
しかし、にもかかわらず、人とかかわることによって自由を獲得したいと希求する存在でも
あるのです。

一所懸命会社を経営し、従業員とその家族の生活に責任を負い、黙々とお客様のために
励んでいらっしゃる多くの経営者や、それを支える従業員の方々を、何故われわれが支援
しようと思うのでしょうか。

ここには、人の営みの本質が顕れているいるからこそ、われわれが敬意を抱き、共感をする
ことができると考えます。製品やサービスが、お客様に満足いただいたとき、私たちはその
ことそのものが自分の満足になります。私たちは、人の喜びを自分の喜びとできるという、
類まれな性質を付与されているのです。そして、そこに人とともに自由を獲得できる可能性を
見出しているのではないでしょうか。

われわれ一人ひとりは、社会や経済、政治の動きに翻弄される小さな存在にすぎないのは
事実ですが、そして直接仕事に関係する情報を得ておくことは必要ですが、だからといって
それらの動きに右往左往することなく、人の営みの根本と、自らが生きている動機や想いから
目を逸らすことのないようにしたいものです。

米田 宗義 さんのコメント:

2008年 9 月 29日@8:37 PM.

 秋本さん、コメントありがとうございます。まさにそのとおりだと実感しています。
 我々ITコーディネータはITコーディネータである前に「人」として相手に接し、その相手の考え方や行動の仕方に共感できる時、ともに喜びを分かち合いたい、と思うものです。すべてはそこから始まり、その次に相手のために何ができるか、と考えると思います。
 よしんば、相手を尊敬できない、共感できない、ところから入らざるを得ない場合でも、腹を割ってとことんぶつかり合い、最後には笑えれば、最初の苦労も吹っ飛ぶものです。
 逆説的に言えば、どこまで行っても相手と相容れることができない場合にでる苦悩やため息にも人の営みの本質があると思います。

 「愛と共感」、ITC-Labo.のクレドの1番目のこの信条は、人としての行動規範であることを肝に銘じ、大切にし続けたいと思います。
 なんか、今回も重めの本質論コメントが連なる予感が・・・。
 ちょっと、別の投稿で、別の切り口から発信することにします。

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